レジャーシートをひろげるムジュン
3年ぶりの個展
7月6日まで天王洲のTERRADA Art Complexの児玉画廊にて佐藤克久の展覧会「レジャーシートをひろげるムジュン」が開催されている。2016年以来およそ3年ぶりの個展となるそうだが彼の作品は児玉画廊のグループ展などでたまに見かけていた。「絵画とは何か」を問い続けているという作家は絵画を描くということの目的や動機、そしてそれに情熱を燃やす画家とは何かまで問い詰めるように多彩な表現を試みる。一見するといい加減に描いているのかと思うような絵でもよく見ると非常に丹念に描かれていたり沢山の塗り込みを行なっていたり描くという行為に徹底的に固執するような痕跡が見て取れるのだ。今後も自分への問いかけのような自問自答の制作行為は続くのだろうしそうやって生まれる新たな作品を見るのも楽しみな作家だ。
一見するとふざけた絵なのかと思うがよく見ると凝っている。
薄く見えるバイバイの文字などもどうやって描いたかわからない。
時にはこうした立体作品のような絵画作品も手がける。
連続する作品も色などが計算されているように思う。
濃く塗っている部分とそうでない部分、境界線など複雑な絵だ。
水彩のような中央部分の色に厚塗りの絵の具というバランス感がいい。
カンディダ・ヘーファー
ベッヒャー派のひとり
天王洲のTERRADA Art ComplexにあるYuka Tsuruno Galleryにてドイツを代表する写真家カンディダ・ヘーファーの個展が開催されている。アンドレス・グルスキーやトーマス・ルフらとともにベッヒャー派のひとりとして世界的に知られるカンディダ・ヘーファーはデュッセルドルフ美術アカデミー時代にベッヒャー夫妻に師事している。図書館や宮殿、劇場などといった建物や日常的な建物、公共施設など様々な建物の室内空間を驚くほど精巧に撮影する彼の写真は驚愕である。まるで絵画のような壮麗な美しさの室内写真には人は写っていないがむしろそれが人の気配を彷彿とさせるようだ。
まるで絵画のような豪華で威厳のある図書館内の写真。
人は写っていないがそれがここにいるであろう人を思わせる。
シンメトリーが美しい写真は不思議な静寂を訴える。
淡い光の中に揺れる布は透明な空気を感じさせてくれるようだ。
なんのことはない庭を眺める窓辺だがとても絵になる。
レストランの壁紙やテーブルの花がとても綺麗だ。
廃墟のような建物の中に開きっぱなしのロッカーがある。
KOUSAKU KANECHIKA
金近君が独立
天王洲のTERRADA Art Complex5階にあるギャラリー「KOUSAKU KANECHIKA」は小山登美夫ギャラリーで長年働いていた金近君が独立して立ち上げたギャラリーだ。金近君とは小山登美夫の頃に色々とお世話になったがってもしっかりした人で仕事ぶりもとても堅実だと思った。そんな金近君が自分のギャラリーを持ったわけだからギャラリーの方もしっかりとした作家を揃えて着実にいい展覧会を積み重ねているように思う。大人気の陶芸家の桑田卓郎やレディーガガへのシューズ提供で知られる館鼻則孝などクリエーティブパワーの高い作家を大切に育てていると感じる。今ギャラリーでは7月20日までギャラリー所属作家6名のグループ展を開催しているがどれも個性的で質の高い作品ばかりである。
所属作家によるグループ展はとても見応えがあった。
キャンバスに荒々しく絵の具を塗った青木豊さんの作品。
日本の伝統美を現代にリアレンジする館鼻則孝の作品。
非常に個性的でパワフルでかつ繊細な桑田卓郎の陶芸作品。
独特の感性で被写体を捉える鈴木親の写真作品。
独特な描写に生死のニュアンスと美を感じる佐藤あたるの作品。
パレードへようこそ
2人展
6月29日まで六本木にあるOTA FINE ARTSにてアキラ・ザ・ハスラーとチョン・ユギョンによる2人展「パレードへようこそ」が開催されている。京都市芸術大学在学中に既にアーティストとして注目されていたというアキラとその頃に神戸に生まれたチョン。年齢は離れているがふたりに共通する点があるとすればアキラがゲイでチョンは在日韓国人3世という互いが社会のマイノリティーであることだ。偏見や差別の対象になる可能性のあるもの同士、ふたりは自身のあり様を表現すること自体が「社会的」と受け止められるのだ。そして彼らの作品は社会的なマジョリティーの鈍感さを映す鏡のようでもあるという。アキラはエイズやセクシャリィティ、原発や差別など様々な社会問題を作品にしてきたがチョンもまた北朝鮮のプロパガンダポスターを使って作品を作ってきた。ちなみに「パレード」という言葉はふたりが好きなイギリスの映画のタイトルで会うたびにストーリーの素晴らしさを語り合ったという。
アキラ・ザ・ハスラーの立体作品。手に持つ木材にHOPEとある。
絵柄とメッセージが面白い作品。ペーパーに絵の具で描かれている。
在日韓国人の3世に生まれたチョンはハングル文字を作品に。
引き伸ばされたポスターのドットが大きすぎて抽象画のようだ。
NYアートリポートVol.30
Mark Manders
長々と続いたNYアートリポートも今回で最後となる。最後に紹介するのはオランダ出身で現在はベルギーを拠点に活動する作家のMark Mandersである。30年以上にわたって作家活動をするマンダーズは「ビルディングとしてのポートレート」という視点から自身の様々な胸像を作ることで知られる作家だ。書籍に挟まれていたりえぐられたりしているポートレートとしての立体作品は重厚感のある力強い作品として訴えかけてくる。建築、言語、物の見方というようなテーマを様々な実験的とも言える試みで追求した作品はコンセプチュアルであるが同時に作品としての見応えや美しさも兼ね備えていると思う。今回もアートフェアに始まってギャラリー巡りなどをして沢山の現代アートに触れることが出来たがアートの質や量の圧倒的な凄さには毎回だが感心させられる。次は久々に10月に開催されるロンドンのフリーズアートフェアを見にゆく予定だが今から楽しみである。
ビルディングとしてのポートレートというマンダーズの試み。
黄色を追求した平面作品。作品としての美しさもある。
新聞紙の上に重なられた黄色の表情がとても面白い。
口元だけを残してえぐり取られたセルフポートレート。
黄色の追求に白い外枠のようなエリアも出てきた。
マンダーズが興味を持つ建築の見取り図のようにも見える。
重厚な木材の板に挟まったセルフポートレイトの顔の一部。
書籍物も興味のある対象物であるが変わった視点から見てみる。
NYアートリポートVol.29
Ross Bleckner
チェルシー地区の南東の18丁目にあるPetzel galleryは多くのギャラリーが集中する20丁目エリアからは少し離れている。今回初めてこのギャラリーを訪れたがなんとも懐かしい作家Ross Blecknerのペインティング展を開催していた。ニューヨークでのソロショーは約5年ぶりでこのギャラリーでは初めての展覧会になるのだという。Ross Blecknerは1990年代のまだ僕がニューヨークにいた頃に鮮烈にデビューして話題になった作家で暗くシャープな画面を通して独特の美意識を表現する作家である。2019年の新作でもそのエッセンスは変わらぬままに彼独自の世界観の絵画を見せてくれた。ニューヨークでネオペインティングムーブメントが起きた1980年代から1990年代を思い起こさせてくれる展覧会となった。
抽象画のような具象画とでも呼ぶべきか。独特の世界観だ。
画面は暗いことが多い。生と死などがテーマの根底にある気がする。
黒い画面に白いフワフワとした点が描かれている。淡い感じだ。
いくつもの顔が描かれた作品は少し不気味な感じがする。
画面を縦横無尽に走る線や点や植物のようなパターン。
この絵は硬い雰囲気の黒い背景に花が添えられているようだ。
亡霊のような人々の姿がボーッと浮き上がる画面。
NYアートリポートVol.28
JACK SHAINMAN GALLERY
再びニューヨークのギャラリー紹介に戻るとするがJACK SHAINMAN GALLERYはチェルシー地区にあってアメリカのアーティストを多く紹介するギャラリーだ。アーモリーショーのようなニューヨークのローカルなアートフェアでは存在感も高く地元に根付いたギャラリーという感じがする。今回はカンザスシティー出身で今はブルックリンを拠点に活動するPAUL ANTHONY SMITHという作家の展覧会を開催していた。今回がこのギャラリーでの初のソロエキシビションになるという作家は写真に加工を施して作品化する。ピコタージュという技法は写真の表面をカッターなどでえぐって白い部分を剥きだすことによって様々なパターンを作り出すという表現方法で沢山の小さなえぐられた跡を見ると途方もなく気の長い作業であることがわかる。しかしながらその苦労の先には単に白く着色をするのとは違ったユニークな風合いが出るのが面白い。それにしてもこのギャラリーは毎回のように新しいアメリカの作家の才能を見せてくれる。
写真の上からピコタージュによってパターンの加工を施す。
画面のほとんどをパターンが覆うが何もせず残した部分もある。
なんでもない風景写真が鮮やかなパターンで生まれ変わる。
パターンで覆う部分と残す部分のバランスが面白い。
正確で細かい作業によって見事なパターンが浮き出るのだ。
カラフルな写真に白いパターンが複雑な効果を与える。