天才芸術家の早過ぎた死
素晴らしい絵が自然に生み出せる天才
中園孔二展が10月15日まで小山登美夫ギャラリーで開催されている。
天才芸術家などという言葉は普段なら軽はずみに使いたくないがあえて中園孔二には使わせてもらいたい。
彼の絵を最初に見たのは2013年のまだ清澄白河にあった頃の小山登美夫ギャラリーでの個展だった。
僕は素晴らしい絵を生み出せる才能は誰もが持っているものではないと思っている。
もちろん誰でも絵は描けるし沢山練習すればスケッチやデッサンは上達するかもしれない。
しかし、中園孔二のような才能に出会う度にこれは誰にでも描ける絵ではないと痛感する。
ピカソやバスキアもそういった衝撃を僕に与えた作家だが、確かに天才はいるのだ。
天から授かった才能が溢れ出る
「描いている方が楽」と中園孔二は語っていたそうだが本当に彼には絵が内面から溢れ出るのだろう。
僕が個展のギャラリーで彼を見た時は若干22歳の大学を卒業したばかりの若者だったのを覚えている。
回りから見ればあまりにも早熟な作家だがおそらく彼にとってはいたって普通のことだったに違いない。
天才の所以とは天から授かった才能を自由奔放に表現出来る能力であり、これが出来る人にはそれは自然なことなのだと思う。しかし、それができないものはどれだけ頑張ってもできないのである。なぜなら才能は頑張って手に入るものではないからだ。
スポーツ選手なら人の倍も練習してうまくなるかもしれない、しかし中園孔二の絵からは努力や鍛錬のような要素は一切見られない。
なぜなら彼には天から授かった才能があるからである。
25年という余りに短い生涯
2015年7月、突然に中園孔二は亡くなってしまった。
香川の海で消息不明となり帰らぬ人となったのだ。
これも天の定めなのか、天はこの世に中園孔二という天才を生んだが余りにも早くその命を奪ったのである。
僕ももちろんだが彼の将来の活躍に期待していた人は多くまたご家族や友人など皆の悲しみは計り知れない。
今回、没後初の個展で改めて中園孔二という天才の軌跡を見て失われた命の大きさと素晴らしさを実感した。
中園孔二さん、素晴らしい絵を見せてくれてありがとう!
そして、心からご冥福をお祈りします。
中園孔二の絵に説明は不要、キャプションなしでご覧ください。