絵が生まれる「発端」とはどこにあるのか?
太中ゆうきの初個展が開催された。
8月27日から10月1日まで太中ゆうきの初個展「発端」が開催されている。
児玉画廊が定期的に開催するグループ展「ignore your perspective」の34回目、「空間の風景」で初紹介されて以来、今回初めて個展という形で彼の絵画世界を見ることが出来た。絵画という表現手段が好きな自分にとっては若手作家が絵画で新たな試みを追求しているのを見るのは嬉しいことだ。
絵を描くという行為への独特なアプローチ。
太中ゆうきの絵は個展のタイトルにもあるように「発端」を大切に描かれて行くという。
画家なら誰でもまず真っ白のキャンバスに向き合ってから絵を描き出すのだが太中ゆうきもそれは変わらない。
そこからが彼独自の描き方なのだが、まず彼は絵の描き始めの「発端」として取るべき行動を一つ決めるのだそうだ。
「とりあえず棒を描けば良い」といった具合に彼は「発端」としての行動コマンドを考えて始動する。
制作するという行為を司る行動原理を元に「何を描くか」ではなく「どう描くか」を考える。
完成作品は「発端」からの行動の蓄積の現れ。
こうして「発端」にあるコマンドをもとに思考を重ねつつ描き進める行為の蓄積が最終的に画面を埋めて行く。
彼の絵には風景のようなイメージやパターンの連続のような絵もあるが全ては「発端」から生まれているのだ。
最初からその絵があったのではなく「発端」のプロセスがこの絵を生み出したと考えつつ見ると非常に面白いことに気が付く。
これは作家の制作姿勢としての「発端」から導き出された完成形の絵を鑑賞者が今度は逆に遡って謎解きするような不思議な感覚でもある。太中ゆうきの絵は、絵という表現手段の無限の可能性の「発端」を文字通り見せてくれるような興味深い作品である。
海辺の風景のような山の連なりの様な、色々に見える絵だ。
風景なのかイメージの遊びなのか思考の散策なのか?
あるパターンが「発端」の蓄積から生まれて行くのだ。
波のような山のシルエットのような不思議なリズム感を感じる絵である。
途切れた風景画は何かを足したり引いたりした結果現れるのか?