与えられた姿

多角的な一画面

5月27日まで白金の児玉画廊で開催されている和田真由子個展「建物」を見て来た。

作者はものを見て作品を制作するのではなく頭に描いたイメージを作品化する。今回でいえば建物のような建造物を作品化するのだが実際にものを見て作品化するのと違う点はものの多角的な側面を全て一画面に取り込んだ姿を描くという試みである。

 

ものを見るということ

我々がものを見るとき一度に見ることが出来るのは一つの面でしかない。そのものの側面や背後を全て一度に見ることは出来ないのだが、経験上または知識によってそれが存在することを自然に認識しているのだ。絵画においても何かを描く時には実際に見えない部分を想起させる手法として遠近法や影など様々な表現で作家は対象を描くのである。しかしこの作家は様々な異なる面をイメージの中に全て同時に盛り込み描き重ねる。普段ものを見るという行為の中で我々が何気なく行っている認識や予測という行為の全てを一つの作品に重ねる。それは実際にあるものを眼で見ることと何かのイメージを頭の中で想像することの中間地点のようにも思える。そしてその結果、これらの作品は見るという自然な行為の不思議さを意外な気付きとして見るものに感じさせる。

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煉瓦の箱のような建物は手前の側面が一番奥にあるように重なる。

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作品は木の板に石膏やニスなどで塗り重なれて作られる。

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眼で見る違った面が全て一緒に同一画面に配される。

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こちらの作品は木の板にえんぴつで丹念に描かれている。

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作品を見つめる女性。女性作家だからか女性の姿が多かった。